
多彩な肩書きを持ち、音楽、映画、グルメ、ファッション、格闘技などボーダレスな見識を披露するアーティスト菊地成孔と写真、先端芸術からバリ島文化まで幅広く専門とする、美術史家にして東京芸術大学美術学部教授の伊藤俊治。
アカデミックな2人が、世の中のニュースや日常の出来事、氷山のほんの一角の話題をダイナミックに切り崩し
ディープに展開する、かなり知的な四方山話。
- 伊藤俊治 Toshiharu Ito
- 1953年秋田県生まれ。美術史家。東京芸術大学先端芸術表現科教授。東京大学大学院修士課程修了(西洋美術史)。美術史、写真史、美術評論、メディア論などを中軸にしつつ、建築デザインから身体表現まで、19世紀~20世紀文化全般にわたって評論活動を展開。展覧会のディレクション、美術館構想、都市計画なども行う。主な著書に、『裸体の森へ』『20世紀写真史』(筑摩書房)、『20世紀イメージ考古学』(朝日新聞社)、『バリ島芸術をつくった男』(平凡社)、『唐草抄』(牛若丸)などがある。
- 菊地成孔 Naruyoshi Kikuchi
- 1963年千葉県生まれ。音楽家、文筆家、音楽講師。85年音楽家としてデビュー以来、ジャズを基本に、ジャンル横断的な音楽活動、執筆活動を幅広く展開。批評家としての主な対象は、映画、音楽、料理、服飾、格闘技。代表的な音楽作品に『デギュスタシオン・ア・ジャズ』『南米のエリザベス・テイラー』『CURE JAZZ』、『ニューヨーク・ヘルソニック・バレエ』(ewe)などがある。著書に、『スペインの宇宙食』(小学館)、共著『アフロ・ディズニー』(文藝春秋)、『ユングのサウンドトラック』(イーストプレス)など。映画美学校・音楽美学講座、国立音楽大学非常勤講師として教鞭もとる。PELISSE www.kikuchinaruyoshi.com/
カルチャー先進国として、かつて圧倒的な憧れの存在だった都市パリ。
70、80、90年代を経て、インターネットの普及によって世界が均質化し、
独特の文化のありがたみは失われてしまったのか? それでも、やっぱりパリの威光は健在なのか?
そして、東京のオリジナリティは何処にいくのか?
菊地成孔(以下K):現在、雑誌業界に限らずとても不況である。そういう話になった時に真っ先に僕が考えたのが、『Numero』もそうなんですけど、パリに本体がある女性誌の日本版という雑誌を山ほど読んできましたが、Numeroは因みに“Japon”ではなく て“TOKYO”となっている。さほどの意味は無いと思いますが、直接都市と都市を結んでいると言える。遥か戦前から、つい最近に至るまで『VOGUE』や『FIGARO』を読むとパリがすごくありがたい感じがしたけど、今はそういった女性誌を読んでいても、パリと東京のありがたみというか、意味の違いがだいぶ出てきたという気がしていて。(伊藤)先生はパリガイドを書かれてましたよね。
伊藤俊治(以下I):『トラベルス/パリ』という本で、『ラスト・タンゴ・イン・パリ』の舞台になったオルセー駅跡とか、ギマールのカステル・ベランジュ、ロースのトリスタン・ツァラ邸など、パリの20世紀建築を100件選んで、建築デザインに関しての解説を加えて書いたものです。この100年ほどのパリの建築の推多を見ると、本当にパリのシンボルというのが大きく変わってしまいましたね。透明化し、非物質化しているというか。パリという都市のイメージが成立しにくい。
K:なるほど。しかし伊藤先生の場合はアカデミックですし、アートですよね。女性文化風俗という意味では、例えば昔だと岸惠子さんみたいな方が、ぐっと最近になるとカヒミ・カリィさんみたいな方が、特派員のようなイメージで、パリの情報を教えてくれる。デザイナーや翻訳家といった人々もいましたが、とにかくアイコンのような人がいて、憧れと親近感を併せた視線で見られていた。今は登場している人たちがどのくらいパリにアイコンとして立っているのかもわからない。中山美穂さんは特派員的ではないし。そういう意味でも「パリの雑誌」という力が落ちてきている気がしますけど。
I:そうですね。最初はモード雑誌を輸入してて、やがては日本版が出て、80年代に『marie claire』とか人気を集めるようになった。僕も毎月コラムを書いていたんだけど、あれは日本版というより名物編集者の安原さんの独断的なパリ雑誌だった。
K:まあ、お決まりのことを言いますが、インターネットによって都市のアウラが消えてきている中で、僕がむしろ際立たせたいのは、「パリがアイコンとして力があったのが、なくなった」ということではなくて、「まだあるんだ」という方向で。もう相当なくなってはいるけれど、伝家の宝刀じゃないけど、いざとなったら抜くっていうパリのぬぐい去れない強さというか。
I:たぶんパリって、世界中のどの都市よりも日本で消費され尽くした街だと思うんですよね。でもやっぱり潜在力はあるから、東京の場合、10年とか20年で建物が塗り替えられて、文化も一掃されるんだけど、パリには何百年も前の石造りの建造物が残っていて、多重層な芸術文化の根が深く張りめぐらされている。その潜在的な力は、まだ消費し尽くせない部分がある。東京という都市の場合は、あっという間にそのオタク的なイメージを消費され尽くしてる部分ってあるんでしょうね。
K:そうですね。東京に今ほど世界中の人が来てるっていう状況も、まぁ80年代に一時あったのかもしれないですけど、原宿やマルキュー(109)に、オーストラリアとかヨーロッパ大陸、アメリカ、アジアからもやって来て、あまつさえアフリカからも来るっていう状況は今までなかった。
I:パリのアート状況で言えば、ボザールという一番有名な美術大学があるんですけど、そこはもうフランス人はほとんどいないんですよね。アフリカや旧フランス植民地の人たちがメインで、残りはアジア系で構成してるという現状ですね。ここ10~15年ぐらいの間に様変わりしてしまいましたから。ただ昨秋、レヴィ・ストロースが亡くなりましたけど、そういう意味でフランスの最良の知性、エスプリというか、そういう漉されて結晶化したものがまだ日本に強い影響を与える回路というのが、幻想だとしてもまだ残っている。日本の知識人や文化層に深くフランスの知が入り込んでるっていうのは言えると思うんですよね。
K:そうした一方で、ソーカル事件とかあるじゃないですか。あれをフランスがどういうふうに受け止めてるのかっていうのは僕なんかにはわかりませんが、日本だと若くて「ニューアカ」が嫌いな世代が、バッサリ一刀両断で、フランスの20世紀の知、それを土台にしてきた知識人はもう全員駄目っていう。バカの不良みたいな、実に気持ちのよい態度で切り捨てやすくなった(笑)。あの事件自体も、ちゃんと受けとめられてはいないような印象。要するに、パリの危機みたいなイメージが、そういう方向からも来ているし、最近だとミシュランが東京に対して自国より多く星をばらまいたっていうのもあげられるんじゃないでしょうか。ベルリン版を出したときには星をまったく与えず、ゲルマン食がまずいんだっていうネガティブキャンペーンのような意地悪なやり方を世界進出の形でやりましたけど。ローマにも非常に辛かったけれど、東京には一番星をあげていて、あまつさえ京都に対しても半ば冷静さを欠いているようなばらまき方をしていた。ビストロなんかも、よく言われることですけどパリに一週間いると、東京のビストロが恋しくなるっていう。東京のほうがうまいじゃん、っていうことが成り立ってしまっていて。
I:まぁ、なんか…東京、京都のほうがおいしいんじゃないんですか? 博多のほうがもっといいけど。
K:ミシュランは、京都でずっとフランス料理をやってきた人には星を一つもあげなかっ たんですよね。それはフランスなりの意地の悪さというよりもむしろ、和食にばらまくので手いっぱいで一冊になっちゃったんで、そこまで手がまわらなかったっていうイメージですね。ミシュラン京都で取り上げられた店の99%が和食で、フレンチは一軒だけですから。




